Tさんは、はっきりものを言う女性だ。
あの人は嫌い。あの人はいい。
これは好き。これは嫌い。
なんか臭いね。とてもいい匂い。
Tさんは認知症だ。
中核症状のなかでも記憶障害がある。周辺症状BPSDとしては妄想、暴言、不安うつなどがあるようだった。
と言っても激しいものではない。たまに夜中、「今日ご飯食べてないわよ。」「今日変な男の人が来たのよ。」「わたしはいつ病院へ行くの。」「昨日手術したのよ、お腹が痛いの。」など話されるくらいだ。
日中はとくに穏やかだ。「はい、こんにちは。」「今日はいい天気ね。」「なんだかお腹が空いてきたわ。」などだ。
80代でまだ施設の中では若手のほうだ。
はっきりものを言うし、若手ではあるが、みんな一目置いている女性。
「Tさんには敵わないなあ。」
「Tさん、よく知ってますね。」
「どうも、こんにちは。Tさん。」
いつもちょっと高めの洋服を着ている。聞いたことあるブランド物もある。
そういえば言葉遣いも上品に感じる。
都会で働いていたそうだ。
バリバリのキャリアウーマンと言う感じ。
生涯、独り者。
ありがたいことに、私は好かれていたようだった。
「今日はいるのね、良かった。」「明日はいらっしゃる?」などお声がけいただける。
あまりご自分の過去をお話しにならない。
フェイスシートにも情報は少なめだ。
ご自分でも「いろいろあったからね」と言って話がらない。
ある夏の蒸し暑い夜のこと。
深夜1時頃、部屋から車いすで出てこられた。
「Tさん、どうされました?おトイレですか?」と尋ねると、「ううん、ちょっとあなたと話したくて、」と仰る。
そんなことは1年くらいの中でも初めてのことだし、ケース記録にも今までなかったものだった。
「飲み物を入れてきますね。ちょっと待っててください。」
「ありがとう、なんでもいいわよ。」
Tさんは甘いものが大好き。
ちょっとしたおやつと冷たいものをお出しする。
「わたしね、生まれは、、
おしごとは、、
結婚はね、、
そのあとはね、、」
Tさんはご自分の出生から現在までを語り始めた。
時間にすると30分くらい。熱心に、でもはにかんで話されていた。
「ごちそうさま。話を聞いてくれてありがとう。
もう寝るわ。じゃあね。」
素晴らしい人生だ。順風満帆ではないが、山あり谷ありの人生。
正直、内容よりもその表情が忘れられない。そのはにかんだその表情。
それから一週間後だった。突然苦しみだして、やがて心肺停止。
心肺蘇生空しく帰らぬ人へ。
その場にいなかったことが悔やまれる。
Tさんは最後、「もういいの、苦しいから、もういいの」と言っていたそうだ。
心不全ではあったが、落ち着いていたのに。診察も受けていたのに。どうして。。
何だかいろいろ悔やまれる。皆さんも一様にそのようだった。
しばらく経った。
部屋には新しい方が入居されている。
また何もなかったような日常が繰り返されている。
たまに想い出す、あのはにかんだ表情。
話しの内容はあまり覚えていないが。
あ、一つ思い出した。こう言っていたと思う。
「もういいのよ。もういいの。思い残すことは何もないわ。」