仮2

you regend!

認知症ではないIさん

この女性、怒ります。

少し触れるだけで怒ります。

苦手です。

「いてえ!やめろ!あ~!」けっこうな大音量。

おむつのパット交換中、ずっとわめいています。手も出します。先生曰く、痛みはあまり無いとは思いますよ。

言葉遣いもひどいです。「男のくせに」「気持ち悪い」「てめえが」「女が」…

たまに「ありがとう」

たまに「きつく言ったけど…」

効きます。

でも基本苦手です。

服薬遅いです。30分くらいかかる時も。

彼女は彼女で限界に挑戦しているのかも知れない。。

たまにナースコール。

顔を見るだけで何も言わない。

テレビつけましょうか。と伺ってみる。何も言わない。

つける。「ありがとう」

分からない。。。

カーテンは常時開けない。扉は常にすぐ閉める。マイルールがいろいろあります。

手を顔に近づけると、逃げるように顔をそむける。手でガードしようとする。

何かあったのかな、と思った。

ご家族は見た事がない。ブログやインスタの写真はNGとなっている。

何があったのかな。

今日も怒っている。何に対しても怒る。

たまに「ありがとう」

暖かい麦茶にクリープをたくさん入れて、砂糖をたくさん入れて、とろみをつけたものが大の好物。

でも砂糖の匙加減が実は繊細なんです。

いかに「おいしいわ」と言ってもらえるのを作れるか、が常に課題。

半身不随なんです。いつからだろう。

左手は大分小さくなってる。けっこう時間は経ってるのだろう。

肌ツヤは割といい。ご飯は毎食1割くらい。栄養飲料がメイン。

どうやら昔、人前で歌っていたらしい。

自慢をするけど、嫌な気はしない。

すごいですね。大変だったでしょう。

何も言わない。

「いてえって言ってんだろ」

口が悪い。

はいすいません。すぐ終わりますから。

触れる前から痛いと言う時も。「いてえ」

まだ触れていませんよ。

何も言わない。

触れる。「いてえ」

どのくらい痛いのだろうかわからない。

日中は部屋で横になってる。出たくないらしい。

カーテン閉めて、電気消して、テレビをつけたままで見てはいない。テレビを消せないがリモコンは手元にないとダメ。

みんなに怒る。今日も怒る。

でも怒らない時もたくさん見つけた。

なんだ同じだね。

「いてえ」

「やめろ」

やっぱり怒る。でもたまに、

「ありがとう」

くせになりますな。

 

 

童話 なんにみえよか 3. 

  

 パンジャの部屋から、月の階段を下りていくと、そこには草原が広がっている。まだ緑色のすすきの中、百二十センチの月の子は、二メートルのパンジャと歩いている。遠くに は、小高いおかも見える。 

 月の子は、いつになくそわそわして、 

「ねえ、パンジャ。あのね、ちょっとお願いがあるの。」 

 と、少し照れながら聞いた。 

「あのね、久しぶりにね、その、かたにね、私を乗せてほしいの。かた車をさ。べ、別にどうしてもと言うわけじゃないけど。まあ、本当はもっと小さい子にするもんだし…。」 

 そう言って、少しほほを赤らめた。 

 パンジャは、親指を立てて、うんうんとうなづき、しゃがみこんだ。そして、手招きをしてかたを指さした。 

 月の子は、「やったあ」と小さな声で言って、パンジャのかたに足をかけた。 

「い、いいよ。パンジャ。」 

 パンジャは、ゆっくりと立ち上がった。     

 あっという間に、月の子の目線は、二メートルの大巨人になった。 

「はは、気持ちいい。」 

 パンジャは、少し歩きながら、わざとこっちにふらふら、あっちにふらふらする。 

「わっ、わっ、ははは。パ、パンジャ、あれもやって、あれも。」 

 月の子は知っているのだ。パンジャかた車のメインイベントを。 

 おもむろにパンジャは、口を大きく開け、息をすいこみ始めた。すると、パンジャの背が、ぐ、ぐ、ぐ、とのびた。さらにすうと、またまたパンジャの背がのびて、周りの木よりもすっかり高くなった。 

 月の子は、パンジャの頭にしがみつきながら、すごいすごい、とはしゃいでいる。 

 パンジャは、ほほを大きくふくらませ、赤い顔をしていたが、ぷふう〜と、息を一気にはき出すと、背もみるみるちぢみ、あっという間に元の二メートルにもどった。 

「は〜、ありがとう、パンジャ。」 

 そう言って月の子は、片手を水平にし、手のこうに、もう片手を垂直に当てて、ゆっくり上げた。(ありがとう) 

 パンジャは、おやすいごようですと、胸に右手を当て軽く頭を下げた。 

     

「さあよ、さあよ。つきさかげを、ひとめみい。なにさみえっが、なにさみえっが。さあ 

よ、さあよ。 

 それそれ、そ〜れ、おっとっと。こっちにいっぱいおどすたっけな。あどはこっちさまいで。あれっ、こっちさまぐなが、ねぐなった…。」 

 バツのわるい顔をして、となりにいるトギスと目が合ったが、ホトは笑ってごまかした。 

「とごろでよ、さっき種をもらいさ行ったら、今日の月んこは、きんなより、たしかにうすぐ感じだな。」 

「やはりな。」 

「どげんごどだ?」 

 ホトは、その返事を聞くのが少しこわく感じた。 

 トギスは、少し間を空けてから言った。 

「いずれ、消えるということだろう。」 

     

童話 なんにみえよか 2. 

 ◇

 月の子は産まれてからずっと、みはらし台より種をまいて、みんなを見てきた。何よりの楽しみは、地上のところどころで見える、しあわせの花畑。そこには、いろいろな花がさいた。大きい花や小さい花、ハートや星型の花、百枚も花びらのある花。だけど、この頃はかれてばかり。 

「パンジャを呼んで!」 

 月の子は、おつきのトギスに言うと、トギスはうなづいて、部屋のおくへ消えた。 

 しばらくすると、おくから背が二メートルはある、やせっぽちでほほがこけた男が、にこにこして出てきた。 

 男は右のこぶしをにぎり、こめかみから下ろし、両手の人さし指を向かい合わせて、曲げる仕草をした。(おはよう) 

「おはよう、パンジャ。まあ、べつにどうってことはないんだけど。なんかさ、みはらし台へ行け行けうるさくて。今日もトギスが、『みはらし台でお願いできないかな?』って言ってきてさ。」 

 月の子はトギスのくちまねをして、いつものようにグチグチと言い出した。 

 パンジャは、いつものように、それをにっこりと聞いている。 

「だって、前はもっときれいだったでしょ。お花畑って。」 

 パンジャは、右手の人さし指と親指をのばして、半回転させながら、右から左へ動かし、そのあと、両手の指先をくっつけてひねった。(いろいろな色) 

 うんうん、と月の子はうなづいている。 

 パンジャはしゃべれない。そのため両手を使って会話をする。月の子も少しずつその仕草を覚えてきた。 

 パンジャは、月の子が産まれたその日に、ふらりとここへやって来た。今ではすっかり、何か起きるたびに、パンジャを呼んで、と言うのだ。 

「もう、そんなお花畑は見れないのかな。」 

 月の子はため息をついて言った。ぼんやりと光りながら。 

 トギスとホトは、目をよりめにして、みはらし台から下をのぞきこんでいる。月の子以外は、目をよりめにしないと、しあわせの花を見ることができない。         「花、すくねなあ、ぽづりぽづりだげ。ちいせえのばっかだす。」 

「たねをまいてるのにな。」 

 そう言ってトギスはホトのほうを見た。 

「ハハハハ、よりめんまま、こっちさ見んなよ、笑ってすまうだべ。」 

「き、君にだけは言われたくないな。」 

 トギスは、少しはずかしそうに言った。 

「あ〜あ、どうなるんだべな、これがら。」 

 ホトはみはらし台に腰かけ、足をぶらぶらさせている。 

「なるようにしかならないが、われわれには、みんなのことを見ることはできないし、まあ、見たくもないことが多いのかもな。」 

「そりゃそうだげんど、月の光さ、ねぐなってもいいのがそれで。」 

「しょうがないけど、そういうものだよ。」   

 トギスは少しさみしそうに言った。 

「おめは、いっつもだげんど、冷めでっからなあ。」 

 ホトは、よりめのまま、トギスを見て言った。トギスは笑いをこらえながら、 

「君は種をまくとき、もう少し散らしてまいたほうがいい。もらう人が不公平じゃないかな。」 

 トギスが少しいじわるっぽく言うと、 

「へえ、んだが。ではおめは、種が余ってもなげねで、全部おらのように、ばらまいだほうがいいぞ。もったいねがらな。」 

 ホトはにやにやしながら言っていたが、急にまじめな顔になり、 

「んで、何があったんが?」 

 と小さな声で聞いた。トギスも小さな声で答えた。 

「ああ、月の子が、少しずつうすくなってる気がするんだ。」 

童話 なんにみえよか 1. 

 手のひらを上にして、「どうぞ」のポーズをすると、手のひらからは、みるみるどんぐりのようなものがあふれ出し、「つばさのないとり」の目の前に、次から次へとこぼれ落ちた。 

「さあ、しあわせの種よ。」 

 まるで女王様のような口調で、少しおどけて言った。そのからだは、ぼんやりと光っている。 

「そろそろ、みはらし台でお願いできないかな?」 

 しあわせの種を、くちばしで器用にひろいながら、「つばさのないとり」は少しおこっているようだ。 

「いやよ、もう何も見たくないし、何も聞きたくないの。花もかれてばっかりだし、もういや。」 

 そう言いながら、ぷいっと後ろを向いてしまった。 

 月は、すべてを見て、聞いている。みんなの良いことも悪いこともすべて。 

「種を持って、早く行ってちょうだい。」 

「つばさのないとり」は、ふうっと、ため息をついて、散らばったしあわせの種をひろい集めている。 

 月の光が出てる時、月はしあわせの種をみんなにまいている。月の光を浴びることで、その種は心に根付く。良いことをたくさんすれば、やがて芽を出して花がさく。しあわせの花には、しあわせがどんどん寄ってくる。でも、あまり悪いことばかりしていると、さかないでかれてしまうのだ。 

 月の子は、そんなかれてしまう花を、ずっと見てきた。そしてついに、もう見たくないと言ったきり、部屋にこもってしまったのだ。 

「つばさのないとり」は、しかたなくみはらし台に立ち、くちばしで種をくわえ、右へ左へばらまき出した。 

「さあよ、さあよ。つきのかげを、ひとめみよ。なんにみえよか、なんにみえよか。さあよ、さあよ。」 

 そんな月の歌をうたいながら。 

「トギス、まだ月んこは、やんねのか?」 

 手伝いをしていたもう一羽の「つばさのないとり」が、心配そうに聞いてきた。 

「ああ、もう一ヶ月くらいになるかな、ホトよ。」 

 トギスは力なく答えた。 

 月の子が種をまかないと、月の姿はかくれてばかり。トギスのまく種は、流れ星となって見た人の心に根付くだけなのだ。 

童話 ボケのすけ ボケたろう

わたしは ボケのすけ ボケたろう。 

 この ボケおうこくでは いちばんの めいよある よびな。 

 この ボケおうこくでは えいゆうなのだ。 この ボケおうこくでは ボケることが えいゆうのじょうけんなのだ。 

 なまえを さずけてくれたのは、じょおうへいか。 

  

 よくぞ、きたな。われは ボケおうこくの じょおうであるぞ。 

 シャムねこの じょおうは いった。 

 ハシボソガラスの おんなよ。おまえが、はなうたを うたいながら きがえをして がっこうへいったら、シャツをおもてうら はんたいに きていて、さらに みぎとひだり ちがういろの くつしたを はいて、さらに さゆう はんたいに くつをはいていた おんなか。 

  はい、そうです。しかも きがえのかばん 

も いえに わすれました。 

 す、すばらしい。なんという だいたんな ボケかただ。ききしにまさる ボケの れんぞくわざ。よろしい、おまえに ボケおうこくいちの しょうごうをあたえよう。 

 これより ボケのすけ ボケたろうと なのるがよい。 

 そうして、ハシボソガラスの おんなは ボケのすけ ボケたろうになったのだった。 

 でも、わからないこともある。たまに きちんとしても ほめられることがあるけど、それはなんでだろう? いったいママは ほんとうは どっちがいいのかしら? 

   

 ねえ、ハシボソガラスのおねえちゃん。もしかしてあなたは ボケのすけ ボケたろうさん? 

 そうよ、きみは? 

 ぼくは くまねずみのクック。じつは、まだ ボケたことがなくて、ママに しかられてばかり。どうしていいのか わかんないんんだ。 

 そういうことなら わたしにまかせて。 

 でも、クックは なにをして しかられたの? 

 うん、きのうは ごはんをたべて、ごちそうさまをしたら、すぐに おちゃわんを あらいばに もっていったんだ…。そしたら、ママに『もう、たまには もっていくのを わすれていっても いいのよ。』って。『いつもいつも きちんとしなくて いいの』って いわれてさ。 

 それは おこられるわね。。。 

 ボケおうこくでは ボケると ほめられ、 きちんとすると おこられるのだ。 

 わたしは いつもごちそうさまって いったら、すぐにリビングへ いっちゃうわ。ママは『いつも えらいわねえ、ボケボケしてて。さあ、おちゃわんを かたづけてちょうだい』っていうのよ。 

 すごーい、さすが ボケのすけ ボケたろうさん。 

 ふふっ、すごいでしょ。かんがえて じゃないのよ。かってにからだが うごくのよ。 

 このまえは、せんせいに『ママ』って おおきなこえで よんじゃったし。 

 えー、せんせいに? 

 このまえは、ねボケて『おはよう』っていうところを『ただいま』っていったり。 

 えー、おきたばかりなのに? 

 このまえは、ゴミばこの まえで かたっぽのてに ゴミをもって、もうかたっぽのてに おかしをもってて、まちがえて おかしのほうを すてちゃったわ。 

 えー、ゴミじゃなくて? 

 そう、しぜんに そうなるのよ。むずかしく かんがえちゃダメ。ボケようと してないのに そうなるのよ。 

 くまねずみのクックは めを きらきらさせて きいている。 

 ぼくもやってみたい。でもどうすれば……。 

 うーん、そうねえ。じぶんの やりたい こととか、いまやってる あそびに しゅうちゅう するのよ。 

 わかる? できるかしら? 

 うん、ぼく がんばって やってみるよ。 

  

 そうして つぎのひのあさ、 

 おねえちゃん!くまねずみのクックが いそいで はしってきた。 

 ぼく、ボケれたんだ! 

 きのう、ゆうごはんのとき、いつもは しずかに たべてるけど、おもいっきって おしゃべりに しゅうちゅうして きづいたら、はしをはんたいにして たべてたんだ。ママに『はしが はんたいよ。』って、わらって ほめて もらえたんだ。ママとっても よろこんでいたんだ。 

 それで、そのひは おちゃわんも すぐに もっていっちゃったんだけど、それもほめられたんだよね。 

 やったね、すごい! はしをはんたいにもつ パターンは わたしも はじめてよ。(でも やっぱり きちんとしても ほめら 

れたりするのね。) 

  

 それからというもの ボケのすけ ボケたろうの まわりには、ボケかたを おしえてほしいという こどもたちが、たくさん あつまって くるようになった。 

 みんな、よくきいて。きちんと しようと かんがえちゃダメ。あそびに しゅうちゅうするのよ。 

 はい! せんせい。 

 それと、ママに いっぱい ほめてもらうには、たまに きちんとするのも こうかてきよ。 

 ここは ボケおうこく。 

 ここでは ボケると ほめられるのだ。 

 ただ、さいきんの はやりは ボケたり、きちんとしたり はんはんらしい。  

認知症のTさん

Tさんは、はっきりものを言う女性だ。

あの人は嫌い。あの人はいい。

これは好き。これは嫌い。

なんか臭いね。とてもいい匂い。

 

Tさんは認知症だ。

中核症状のなかでも記憶障害がある。周辺症状BPSDとしては妄想、暴言、不安うつなどがあるようだった。

と言っても激しいものではない。たまに夜中、「今日ご飯食べてないわよ。」「今日変な男の人が来たのよ。」「わたしはいつ病院へ行くの。」「昨日手術したのよ、お腹が痛いの。」など話されるくらいだ。

 

日中はとくに穏やかだ。「はい、こんにちは。」「今日はいい天気ね。」「なんだかお腹が空いてきたわ。」などだ。

80代でまだ施設の中では若手のほうだ。

はっきりものを言うし、若手ではあるが、みんな一目置いている女性。

 

「Tさんには敵わないなあ。」

「Tさん、よく知ってますね。」

「どうも、こんにちは。Tさん。」

 

いつもちょっと高めの洋服を着ている。聞いたことあるブランド物もある。

そういえば言葉遣いも上品に感じる。

都会で働いていたそうだ。

バリバリのキャリアウーマンと言う感じ。

生涯、独り者。

 

ありがたいことに、私は好かれていたようだった。

「今日はいるのね、良かった。」「明日はいらっしゃる?」などお声がけいただける。

 

あまりご自分の過去をお話しにならない。

フェイスシートにも情報は少なめだ。

ご自分でも「いろいろあったからね」と言って話がらない。

 

ある夏の蒸し暑い夜のこと。

深夜1時頃、部屋から車いすで出てこられた。

「Tさん、どうされました?おトイレですか?」と尋ねると、「ううん、ちょっとあなたと話したくて、」と仰る。

そんなことは1年くらいの中でも初めてのことだし、ケース記録にも今までなかったものだった。

 

「飲み物を入れてきますね。ちょっと待っててください。」

「ありがとう、なんでもいいわよ。」

 

Tさんは甘いものが大好き。

ちょっとしたおやつと冷たいものをお出しする。

 

「わたしね、生まれは、、 

おしごとは、、

結婚はね、、

そのあとはね、、」

 

Tさんはご自分の出生から現在までを語り始めた。

時間にすると30分くらい。熱心に、でもはにかんで話されていた。

 

「ごちそうさま。話を聞いてくれてありがとう。

もう寝るわ。じゃあね。」

 

素晴らしい人生だ。順風満帆ではないが、山あり谷ありの人生。

正直、内容よりもその表情が忘れられない。そのはにかんだその表情。

 

それから一週間後だった。突然苦しみだして、やがて心肺停止。

心肺蘇生空しく帰らぬ人へ。

 

その場にいなかったことが悔やまれる。

Tさんは最後、「もういいの、苦しいから、もういいの」と言っていたそうだ。

 

心不全ではあったが、落ち着いていたのに。診察も受けていたのに。どうして。。

何だかいろいろ悔やまれる。皆さんも一様にそのようだった。

 

しばらく経った。

部屋には新しい方が入居されている。

また何もなかったような日常が繰り返されている。

 

たまに想い出す、あのはにかんだ表情。

話しの内容はあまり覚えていないが。

 

あ、一つ思い出した。こう言っていたと思う。

「もういいのよ。もういいの。思い残すことは何もないわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

最新のウォークマンでグリーンデイを聞く

その日も憂鬱な日になった。

 

マルセウは銃で殺されたらしい。

そんな噂を耳にした。小さな街の普通の若者だ。

 

どうやら何かの盗品を奪い合って殺されたらしい。よくある噂だ。ただ、知っている若者だ。友人たちは今日の天気を話すようにマルセウが殺されたと話している。

 

マルセウのことはほとんど知らない。

一度会っただけだ。それも二日前に。

 

その日は憂鬱な一日だった。

家族と喧嘩して落ち込んでいた。問題は絶えない、と考えてしまう。

解決しない、と考えてしまう。憂鬱だ。

 

夜、一人で公園へ行った。今にも朽ちそうな木製のベンチに座り、最新のウォークマンでグリーンデイをガンガンに聞いていた。

危険な行為だ。ブラジルで、一人、公園、夜。何をされても文句は言えない。

でもそれほど憂鬱さは身体に満ち満ちていた。

 

たまに通る人がチラチラ見ていく。人けも少なくなってくる。

静かな時間になった。夜も更けてきた。わずかな電灯がチカチカしている。

ウォークマンがA面からB面へ変わる瞬間、静かな時間、遠くで銃声が聞こえた。一発で銃声と分かるそんな音。

一瞬で現実へ戻された。

 

怖い、という感情が出てきた。でも憂鬱と戦っていようだ。

ポケットに入れておいたお金を靴下に入れた。

 

目の前には若い男が立っている。いつからだろう。靴下にお金を入れた後だろうか。

考えながら、その若い男の顔を見る。同じ年くらいだろうか、痩せているが、目が大きく意思を感じる。

お互い顔を見あっている。

銃を出すならこのタイミングだろう、などと冷静に考えていると、

若者は手を出してきた。少し高い声で「タバコをくれ」とポルトガル語で話してきた。少し拍子抜けしたと同時に、そのフレンドリーさに少し笑ってしまった。

 

セブンスターを一本あげた。「オブリガード」と言うと、若者は去って行った。

後姿を見送ると、白いシャツとジーンズの隙間からチラチラと銃と思わしき物が見える。若者の先には仲間らしき男が2人いる。

私はセブンスターに火を付けた。少し手が震えているようだ。



しばらくするとまたその若者が一人で来た。

少し身構える。若者は言う。「もう一本くれ」。少し拍子抜けした。

「うまいなこれ、日本のタバコか」若者は続ける。

私は残り5本くらいのセブンスターを箱ごとあげた。

怖いというよりは嬉しい気持ちだった。日本のなんでもいいが褒められるとやはり気分がいい。

若者はセブンスターを手に取り、微笑んでいる。

若者はポケットに手を入れ、見たことのない数本入っているタバコらしきものを取り出して目の前に出してきた。

交換、ということだろう。

オブリガード。

 

若者はマルセウと名乗り、この公園にはいつもいると言って仲間の方へ行った。

若者たちは何かを確認したようにすぐに消えた。

私は少し憂鬱から解放され、公園を後にした。

 

次の次の日だ。

盗品を奪い合って、マルセウは撃たれた。

マルセウは撃ってないのだろうな。分からないが、そんな気がする。

 

憂鬱な日だ。

セブンスターに火を付けた。

もらったタバコには手を出せずにいる。